ムービー・コラム@

死体がいっぱい血がいっぱい!

今、ドイツ映画が面白い!

 

 映画といえば、まぁ大体の方が、アメリカ映画が好きだと答えると思いますネ。ようするにハリウッド製の娯楽大作というヤツを。でも、最近の現状を見てみますと、ハリウッドも相当ネタに困ってきたみたいで、昔の映画の再映画化や、テレビ・シリーズの劇場版、或いは、他の国の映画をハリウッド製に焼き直したりという、いわゆるリメイク作品が増えてきているようで、それに加えて相変わらずの続編やシリーズものといった、安定路線も続々と作られていて、今やアメリカ映画といえば、今までに何処かで観た事のあるような映画ばっかりというような感じになってしまって、ハッキリ言って、あまり面白くはありません。それでも映画がよく出来ているのならまだしも、何か、金が掛かってばかりの派手で空虚な大作ばかりって印象が強く、バカでもチョンでも一応楽しめてしまうけれど、しかし後には何も残らない清涼飲料水みたいな映画ばかりになってしまっているのが、何とも悲しいです。

 その点、最近目覚ましく躍進しているアジア圏の映画は、香港、韓国、そしてインドなど、実にバラエティに富んだ映画が多く、なかなか面白い作品を発見する事が出来ます。当然ながら、娯楽に徹した映画というのは、やっぱりハリウッド製が一見華やかに見えますが、これらの映画の中にも、そういった作品を見聞する事もあります。

 しかし今回、ここで御紹介するのは、アジアからずーっと飛んで、ヨーロッパの中心、ドイツの映画です。ドイツ映画そのものは、ずっと以前から、日本でも公開されてきていましたが、この10年、つまり西と東が統一されて以後のドイツ映画が、実に何ともユニークな映画が多くなってきていまして、中にはビックリ仰天してしまうような、そんなトンデモ映画があったりしますので、最近になって僕が観た中で、飛び抜けて凄いドイツ映画を皆さんに御紹介したいと思います。

 ドイツ映画が大きく変わったのは、戦後長らく分断されていた東西が統一されてから。それまでのドイツ映画というと、一時期“ニュー・ジャーマン・シネマ”とかいって、ヴィム・ベンダースとかウェルナー・ヘルツォークとかの監督の、何ともコ難しい映画ばかりが公開されていたもので、僕たち一般人の興味が湧くような映画は、全くといっていい程ありませんでした。つまり、ドイツ映画=マジメな難しい映画っていうイメージがあった訳で、しかもそれらの映画はみんな、アート系の劇場でしか公開されないものだから、例え観ようと思っても、なかなか機会に恵まれなかったようで、つまり、ある種封印されていたとも言うべき印象があったのも事実でした。

 でも、そんな時期でも、例えばビデオという手段を用いる事で、ある種、ドイツ(当時の西ドイツ)のエンターテインメント的な映画も観れない訳はなく、まだ統一していない80年代の初期の頃には、『トランス/愛の晩餐』(82)という映画がビデオでリリース(後に劇場公開された珍しいケースだった)されていました。

 

 これは、西ドイツで実際に起こった事件の衝撃の映画化であるとかで、ある人気のロック歌手の追っかけをやっていた女の子が、ある日、その彼と一夜を共に出来るチャンスが訪れたものの、ヤル事終わったら「さっさと帰れ!」と言われた彼女がカッと来て、その彼氏を殺し、挙げ句にその死体をバラバラに刻み、そして肉片さえも口にしてしまったという、いってみればドイツ版“佐川君からの手紙”みたいな映画でした。愛するが故に相手を殺し、そしてその肉を食べるという、人間が古来から持っていた肉欲願望を正面切って描いた作品、ナンていうと大袈裟だが、ようするにキレたおっかけ・ギャルの復讐篇とでも言いましょうか、そんな映画でした。取り敢えず、これからドイツ映画にハマろうという人の入門映画として、お薦めしたいものです。

 

 で、今度は80年代も中盤になり、いわゆる未公開映画が大挙として日本でもビデオ・リリースされた頃に出たドイツの映画に、『モスキート/血に飢えた死体マニア』(76)という映画がありまして、何でも、これまた実話の映画化であるとか。“ニュールンベルグの吸血鬼”として恐れられた、夜な夜な死体置き場に出向いては、死体から血を啜り吸っていたという、狂人の行動を描いた映画で、とにかくたいしたドラマは一切ナシで、ただひたすら、その男の狂った行動のみが描かれる、ナンか、観ていて実に気が滅入ってしまうような映画でしたが、描写そのものは、そうたいして強烈ではなく、むしろその映画の作りというか、まるでドキュメンタリー映画を観ているような、淡々とした映像の連続には、ハッキリ言って覚悟を要しました。ドラマの中頃で、死体から抉り取った目玉を持ち帰り、ジックリと鑑賞するシーンがあるのですが、とにかく主人公の男が聾唖者というのからして、実に暗い映画になっていて、ビデオのパッケージにあった“不快指数100%”という文字は、あながち間違っていないナーと思いました。

 そしていよいよ、80年代末、東西ドイツの統合の時期がやって来ました。それ以後というもの、ドイツ映画といえば、コ難しいアート・フィルムは少なくなり、先に紹介した『トランス』や『モスキート』同様、人を殺したり、人が死んだり、死体が転がっていたり、その死体とエッチしたり、血がドバドバ出まくる、そんな映画が大手を振ってまかり通る時代が、遂に訪れたのでした。

 

 そんな中のトップバッターはというと、まずはこの、クリストフ・シュリゲンズィーフ監督に御登場願いましょう。まず東西統一の翌年に作られた『ドイツチェーンソー大量虐殺』(90)という映画があります。“東西統一後、沢山の人間が東から西に入り込んだが、その内の4%が行方不明になった”という事実のデータを元に、それはコイツラのせいだ!とばかり、東から西にやって来た人間共を片っ端からチェーンソーで殺しまくっていた一家があったんだ!と作ったのがこの映画。そう、もう最初から最後まで、やたら人が死んで、というか、殺されて、チェーンソー持ったオッサンが美女を追いかけ回し、胴体が真っ二つになったオバハンが叫び、もう何が何だか分からない阿鼻叫喚の地獄のようなシーンが展開するという、まさに大量虐殺篇。勿論、行方不明事件の実際はそうではないのだが、東西統一後は、何をやってもイイのだ!という、監督の意気込みが大いに感じられる、とにかく狂った映画でした。

 因みに、シュリゲンズィーフ監督によれば、この映画、トビー・フーパーの傑作『悪魔のいけにえ』(74)(原題がほとんど同じなのに注意)のドイツ版パロディだそうで、だからまぁ、笑って観ればイイのかも知れま線が、しかし次の映画を観たら、それどころではなくなるに違いありません。というのも、その次にシュリゲンズィーフが作った映画が『テロ2000年/集中治療室』(92)だからです。

 

 今回も狂った人間が多数登場、チェーンソーこそ持っていないものの、とにかく人を殺して殺して殺しまくる集団を描いた映画です。何故彼等はそんなに人を殺すのか、どうやらポーランド人ばかりを狙っては、虐殺しているみたいなのですが、この辺りは第二次大戦中、ヒットラーがユダヤ人を虐殺したのとよく似ていて、まぁ、血は争えないというか、とにかく今回も狂った凄い映画になっていて、正常な神経の持ち主の人が観れば、世界観、特に今のドイツに対しての印象が変わってしまうんじゃないかと思うのですが、ハッキリ言って、ドイツに行けばこういう人たちばっかりっていう訳ではありませんので悪しからず。

 で、ドイツばっかりを舞台にしていたら、本当にドイツはバカな国だと思われてしまうというので、今度はアフリカを舞台にして作ったのが、今の所のシュリゲンズィーフ監督の最新作『ユナイテッド・トラッシュ』(95)です。これがまた凄い。

 

 アフリカにいるドイツの大使が、超巨乳の妻と結婚、で、生まれた子供が何故か黒人で、しかも頭が異様にデカい、小人というフリークス。まぁ、黒人なのは、単に妻が現地人と浮気していただけなのだが、とにかくそんなこんなで、映画はハイ・ボルテージに突入。子供が産まれて意気上がる大使は、内乱で混乱している現地で敵を皆殺しにするワ、妻は妻で、所構わず浮気しまくるワ、挙げ句の果てに、そのフリークス(演じているのも多分本物の小人でしょう)の子供をミサイルの核弾頭に埋め込み、それを憎っくきアメリカのホワイト・ハウスに向けて発射するというハチャメチャぶりで、これだけはとても、観た人でないと信じられないようなシーンの連続で、とくかくこれがシュリゲンズィーフ監督の最高傑作でしょう。

 そんなシュリちゃんには負けないと、俺には俺の流儀があるとばかり、自分の大好きな死体をテーマに映画を撮り続けているのが、ドイツの死体派監督と言われているユルグ・ブットゲライト監督で、まずはその第1弾『ネクロマンティック』(84)が日本上陸。

 

 死体嗜好症の事をネクロフィリアというらしいですが、この映画の主人公は、まさにその死体大好き青年。仕事が死体の回収業であるという事からして、もう趣味と実益を兼ねたもので、仕事で手に入れた死体(ほとんどが死んでそんなに経っていないものばかり)を相手に、毎日毎日せっせとセックスに励んでいるという、そんな主人公と、私も死体が大好きという彼女との間で繰り広げられる死体を間に挟んでの3Pは、ハッキリ言ってアブノーマルの極致。これもまた、正常な神経の持ち主からはソッポを向かれてもしょうがない仰天映像の連続で、こういうのに慣れっこになっている筈の僕でも、思わず顔を背けたくなる事が何度もありました。本国で上映禁止になり、フィルムも没収されたというのも頷けるというもので、なのに何故日本でビデオになっているのか、よく分かりませんが。

 

 そんなブットゲライト監督の次なる作品が『死の王』(89)で、今度はちょっと気取ったドキュメンタリー・タッチになっているのが、ちょっとハナに付きますが、とにかくこれも、自殺する人をずっと追ったもので、まぁ世の中には色々な自殺の仕方もあるもので、これから自殺をしようという人には、結構参考になるかも。尤も、中には人を殺して、その後で自殺(結局は殺されたんだけど)してしまう強者もいたりして、あまり実用的ではないかも知れませんが、まぁ、その逆で、これを観て自殺するのをもう一度考え直すきっかけになってくれればと、そういう映画でもあるようですが、まさか監督もそんな事を考えながらこの映画を作った訳ではないでしょう。

 

 前作の地味さが我慢できなかった人には、次なるブットゲライト監督作品『ネクロマンティック2』(91)でお口直ししましょう。前作の衝撃のラスト・シーン(どんな凄いラストだったかは、秘密)から始まる、完璧な続編で、今度は女性が主人公。女性のネクロフィリアというのは、前作にも登場していたが、今回登場のネクロ・ギャルはかなり強烈。女性の仲間数人と、アザラシ解剖のビデオ鑑賞会を開いたり、その時にみんなで、愛用(?)している死体の一部を持ち寄って自慢したりと、これまた前作を上回るパワーが炸裂。そういえば1作目には、兎が解体されるシーンが唐突に挿入したりしていたもので、この監督、人間の死体だけではなく、動物が死ぬ瞬間にも興味を示している事が分かります。アザラシといい、兎といい、元がカワイイだけに、残酷度が余計に増していました。

 とにかく、そんなアブノーマル映像ばかりで彩られたこの2作目も、やっぱりドイツでは上映禁止になり、フィルムも没収されてしまったらしいのですが、我が日本国では晴れてビデオ・リリースされていまして、一体どうなっているんでしょうか、この国は、と思ったのは、僕だけではないでしょう。

 そんな今、バカ監督のシュリゲンズィーフや、死体大好きのブットゲライトに負けないゾと、次に登場するドイツの監督がオラフ・イッテンバッハという人。前の二人に比べて、年齢がちょっと若いというだけあって、そのバイタリティ溢れる映像作りは、ハリウッドの若手が作るスプラッター・ホラーに匹敵するぐらいの派手さがあり、実際、彼は、主演までやってのけているという、かなりのやり手。

 

 そんなイッテンバッハ監督の日本上陸第1弾が『バーニング・ムーン』(92)。主人公であるうだつの上がらない兄(イツテンバッハ監督自身)が、妹に語って聞かせる二つの恐ろしい物語。ようするに変型のオムニバス映画で、前半が、精神病院から脱走した精神異常者=ようするにキ○ガイが、人を殺しまくる話。一見ごく普通のハンサム・ボーイにしか見えないこの男が、知り合った女を騙して、その家の家族全員を皆殺しにするという、ただそれだけの話なのだが、その殺すシーンがとにかく凄い。もうムチャクチャで、さぁ女がアブない!と思った時に……。

 続く後半は、村の若い娘を犯して、そして虐殺して回る神父(!)の替わりに、気の弱いネクラな青年が犯人だと決めつけられ、村人の一人にメッタ殺しにされ、その死んだネクラ青年が、地獄へ堕ちて、そこでゾンビが徘徊する阿鼻叫喚のシーンが展開するという、ナンか、とにかく死体とゾンビを出してみたかったという、イッテンバッハ監督の個性がモロ出てしまった映画。前半はともかく、後半の地獄のシーン(その前の村人に殺されるシーンも結構凄いが)に於けるゾンビ・スプラッター・シーンは、とにかく一見の価値有りで、これで一躍自信を持ったイッテンバッハ監督は、続いて、そのまんまゾンビ映画を発表。それが次の『新ゾンビ』(97)です。

 

 これもまた前半と後半とにストーリーの流れが分かれていて、前半は、その昔、堕天使(これが原題)となった男が、何とか地獄から蘇る為に、本に呪いを込める回想シーンが中心。で、後半、主人公(またまたイッテンバッハ監督自身)が家の庭から古い書物を見付け、それを開いた為に、呪いが放たれ、主人公がゾンビ化するのを始め、地獄の底からゾンビ軍団が出現、パーティーが開かれていた主人公の家が地獄と化す。で、結局舞台となるのはその主人公の家で、だからスケールが小さいじゃないかと、一瞬思ってしまうのですが、これがもうそれから以後、エンド・クレジットが出るまでの40分は、とにかく凄い!の一言。ゾンビ軍団対人間の対決を、ここまで鮮烈に描き出してくれたのは、おそらくあの名作『ゾンビ』(78)と、『サンゲリア』(79)以来なのではないかと思ってしまうぐらいで、肉片が飛び、体が四散し、血が巻き散らかされる、その迫力とスプラッター描写は、最近でも出色と言ってもイイ程で、イッテンバッハ監督のノリノリぶりが伺われる傑作に仕上がっていました。

 で、次に登場するのが、勢いが止まらないドイツ映画の新しい旗手として、これからの活躍が期待される“新しい波”の2本。といってもその内1本は、相変わらず、バカとホラーとが一体化したような内容なのですが。

 

 その1本が、『キラーコンドーム』(96)。マルティン・ヴァルツという、初めて名の聞く監督作品ですが、内容はというと、これはもうタイトルそのまんまっていう感じで、ようするに、コンドームに何故か牙が生えていて、装着しようという男の○○○を、ガブリと噛み切ってしまうという、何ともおぞましいホラー映画。といっても、まぁ、展開から何から何まで、ノホホンとしてユッタリした感じになっていて、ホラーというよりもコメディに近いようで、取り敢えず笑いながら観るのには最適という作品に仕上がっていました。

 しかし驚いてしまうのは、こんな低級のドイツ映画に、何故かあの『エイリアン』(79)でおぞましき宇宙怪物のデザインを担当して一躍有名になった画家H・R・ギーガーが、ここでもそのモンスター(といっても、単にコンドームに歯が生えているだけなのですが)のデザインを担当していて、思わず“?”となっちゃいました。こんなとこで、何しているんでしょうか? それに、おまけと言っちゃあナンですが、特撮を担当しているのが、先程紹介した“ネクロマンティック・シリーズ”の死体派監督、ユルグ・ブットゲライトさんで、自分の映画が上映禁止になっちゃったから、こんなアルバイトしているのかナーなんて、考えてしまいました。

 

 で、ドイツ・ニュー・ウェイブのもう1本、それが『カスケーダー』(98)です。公開前から、これはドイツ版の“インディ・ジョーンズ”だと言われていて、いざ観てみると、まさしくその通りでした。

 といっても、やたらSFXなんかで派手に彩られていた本家とは違い、こちらは極めてオーソドックス。いわゆる冒険アクション映画の基本を忠実に守りながら、SFXは使わずに、ひたすら超ビックリするスタント・アクションで押し通すという、本家も顔負けしてしまうような本格的なアクションものになっていまして、ハッキリ言って、コッチの方が面白いかも、と思ってしまったのはウソではありません。

 どちらかというと、本家の1作目『レイダース/失われたアーク』(81)の雰囲気に似ているのですが、なにせ監督どころか、主演までやってのけているハーディ・マーティンスという人が、とにかくバカが付く程のスタント野郎(多分、元々はスタントマン出身だったんでしょう)でして、車で突っ走るわ、ゴーカートで地下鉄追っかけるわ、飛行機からブラ下がるわと、アレヨアレヨという間のスタント劇が展開、何度も言うように、本家のスタントマンにオンブに抱っこしているハリソン・フォードとは比べものにならないぐらいハツラツとしたアクションが連続炸裂し、思わず口をアングリと開けたまま見入ってしまいました。

 このマーティンスさん、顔がどことなく、ジャン=クロード・ヴァン・ダムに似ておりまして、だから雰囲気も最高。パッと見た感じじゃあ、アレ?ヴァン・ダム主演のアクション映画かと思ってしまう程で、イヤァ、こんなところに隠れたるアクション映画の傑作が存在していたなんて、やっぱりドイツ映画、只者ではありませんネー。

 という事で、とにかく、バカ虐殺派=シュリゲンズィーフ監督、死体ネクラ派=ブットゲライト監督、ゾンビ楽天派=イッテンバッハ監督等を始めとする、それぞれが自分の個性を十分に出し切った、現代ドイツ・バカ映画の監督たちの各作品、あなたは一体どれがお好みですか。ハンバーガーのようなアメリカ映画に食べ飽きた人、一度はこの東欧のパワー溢れる映画群、観てみてはいかがでしょうか。

 この秋には、死体派ブットゲライト監督の最新作『シュラム』(93)(これも向こうでは上映禁止になったらしい)が公開(ビデオ・リリースも)されるというし、これからもしばらくは、ドイツ映画から目が離せないようです。今、本当に、ドイツ映画が面白い季節だと思います。

 

 

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