ムービーコラムbT

作らざる運命にあった『太陽を盗んだ男』

 

 

T.きっかけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ある日、たまたま訪れた古本屋で、いつものように、「映画関係」の本を漁っていると、一冊の本が目に止まった。「ユリイカ」の1976年6月号である。「ユリイカ」は、「詩と批評」とサブタイトルが付いているだけあり、元々は「詩」の本で、読む機会なんてまるでない、いわば、自分とは全く次元の違う本でありながら、タマに、映画に関する特集を組む事があるらしい。

 そういえば確かに、以前、『真夜中のサバナ』が公開された頃に、クリント・イーストウッドの特集があり、どうせ読むページなんて、少ないだろうと思いつつも、どうしても気になったので、初めて買い求めた事があったが、予想通り、読める所は少なかったっけ…。

 まぁ、イーストウッドの特集の部分は、そこそこ読めるものの、執筆陣が、いわゆる映画評論家だとか、そういう人は少なく、あまり名前を聞いた事のない人たちで占められていた事も原因してか、日本人であるにも関わらず、書いてある日本語が理解できないというのもしばしばで、まぁ、僕のような頭の悪い人間には、お呼びでなかった本、という認識が、その時から芽生えていたのだったが…。

 で、今回目に止まった「ユリイカ」も、やはり映画の特集だった。“映画・ヒーローの条件”というタイトルが付いていて、表紙に載っていた執筆陣は、お馴染みの淀川長治や佐藤忠男などの映画評論家を始め、和田誠・藤本義一・寺山修司等の作家群の中に、鈴木清順や佐藤純弥などの映画監督の名前も散見できて、ちょっと読んでみたいなという衝動に駆られたが、中をパラパラめくってみると、相変わらず難しい文字の羅列で、「やっぱりヤメようか…」と思った時、殊更目に付いたページがあった。

 それは、映画評論家の川本三郎と、俳優・菅原文太との対談である。普段、あまり対談やインタビューという場に現れない文太という事と、テーマが「ヒーローの虚像と実像」というものからして、これは面白そうだと思い、まぁ、古本にしては、ちょっと値段が張ったけれど、こういう機会はメッタにないと思い、取り敢えず買い求める事にした。

 

U.ある事件

川本三郎

 

前野霜一郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に帰って早速、その対談の部分を読み耽っていたのだが、これが結構読み応えがあって、なかなか興味深かった。さっきも述べたように、菅原文太が、こういう対談の場に出ている事自体珍しい(僕が知らないだけかも知れないが…)ので、色々興味深く読ませていただいたのだった。

 ちょうど、『新・仁義なき戦い/組長最後の日』の公開後という事で、話はそこから始まっていったのだが、その対談の中で、当時起こった“ある事件”について、深く語られていたのが、妙に気になった。

 その事件というのは、その年の3月に起こった、「児島邸セスナ機突入事件」というもので、一人のポルノ男優・前野霜一郎が、当時の右翼の大物・児島誉志夫邸へ、撮影用にチャーターしたセスナ機で突入し、自爆を遂げたという、何ともショッキングな事件である。

 児島誉志夫は、当時のロッキード事件の渦中にいた人物の一人で、それが理由なのかどうか、僕もあまり詳しくは知らないけれど、今で云えば個人的なテロ行為と見なされてしまうような事件だったようだ。

 で、実は、この「ユリイカ」の前月号に、件の菅原文太が、「われ発見せり」というタイトルで、その事件に言及したコラムを寄せていたらしく、今回の対談は、その話が中心になっていた形だった。

 残念ながら、そのコラムは読んでいないので、これはあくまでも想像でしかないのだが、同じ俳優として、前野霜一郎に、何らかの共感を得た文太が、当時の日本の政治、或いは社会に対して、一筆書いたのかと思うと、無性にそれも読んでみたい気がしたが、文太はどうやら、例の三島由紀夫の自決事件と、対比させる形(前野霜一郎は、特攻服を着て、突入したらしい…)で、その事件を捉えていたような雰囲気が、この対談からくみ取る事ができた。

 この辺りは、やはり、菅原文太という人となりを伺い知る事の出来る部分で、最初の予想とは、違った意味でまた、興味深かったのだが、その対談を読み終わって、他のページをパラパラとめくっている時に(いつものように、他にコレという面白い文章が見付からなかったという事もあって…)、もう一人、その事件に言及しているコラムニストを発見してしまった。それが…

菅原文太

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

V.仲間

長谷川和彦(ゴジ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが何と、当時まだ、助監督だった長谷川和彦だったのだ。そのコラムによと、長谷川和彦(以下ゴジ)と前野霜一郎は、以前からの親友で、その何年か前に撮影していたゴジ・幻の監督デビュー作(予算が途切れて、製作中止になった…)に、助監督兼通訳兼運転手として協力していたらしい。

 で、そこで初めて知ったのだが、前野は、当時でこそポルノ男優と呼ばれていたけれども、元々は子役出身で、あの劇団ひまわりに所属していたらしい。へェ〜ってなもので、後にキネ旬発行の「日本映画俳優全集・男優編」でチェックしてみたら、本当にそうだった。

 1962年に日活に入社し、青春映画の学生役で映画出演を続けた後、演技勉強の為に一旦渡米して、帰国後、日活末期のアクションもの“野良猫ロック・シリーズ”『新宿アウトロー/ぶっ飛ばせ』等に出演、そしてポルノ路線に転換した日活で、『東京エマニエル夫人/個人教授』等のポルノで活躍していたという経歴の持ち主であった事が判明した。

 その、ゴジの幻のデビュー作というのが、実はピンク映画で、当時ヒットしていた洋ピン(洋画ポルノ)にあやかって、外国人女優を使った“和製洋ピン”をデッチ上げてようという、そういう企画だったらしく、その為に、渡米経験がある前野に、通訳の大役が回ってきたと、ゴジは、懐かしそうに語っていたが、やはり親友を、あのような事件で亡くしたので、かなりショックは大きかったようだ。

 で、ここで大事なのは次の文章、である。ヒーロー論(タイトルは「ピエロと殺人者)を展開させながら親友であり、また、良き協力者であった前野に対する、ゴジの次の言葉である。

 「しかし前野よ、どうせ突っ込むんなら、児玉なんてケチな事は言わないで、皇居に棲んでいるあの顔面神経痛のジイさんの上に突っ込めば良かったんだよ。そうさ、“天皇陛下万才!”と叫んで…」(原文まま)

 これを読んだ時、僕の体に、一条の稲妻が走ったような気がした。この偶然性とは、一体何なのだろうか。前野霜一郎という、一介の俳優の特攻事件によってもたらされた、この偶然性とは…?

 

 

W.偶然性

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この「ユリイカ」誌上に於ける、ゴジ監督、皇居への特攻、社会への反逆(?)、そして菅原文太…。このキーワードを繋げれば、そのままあの映画に到達するではないか。あの映画とは、勿論、その3年後にゴジ監督が手掛ける事になる『太陽を盗んだ男』である。そう、この事が、今回このコラムを書いたきっかけでもあり、また、重要なポイントでもあったのだ。

 ゴジは、この当時まだ、助監督経験しかないペーペーである。あの、賞を根こそぎ獲った、デビュー作『青春の殺人者』(コラムのタイトルに注目!)も、まだ撮っていない時点の話だ。

 尤も、コラムの最後の所で、中上健次の小説「邪淫」を映画化するチャンスが巡ってきたと書いている。“27才の青年が、両親を叩き殺して家に火をつけ女と逃げる話”と言っているから、あの『青春の殺人者』の事を指しているのだろうと思う。(実はその前に、同じ中上健次の「19才の地図」も候補に挙がっていたとか…)

 この時点では、あの『太陽を盗んだ男』の事は、これっぽっちも書かれていないし、大体アレは、『青春の殺人者』を撮った後、ゴジがニューヨークへ行った時に、レナード・シュレイダーと出会ったのがきっかけで、レナードに書いて貰ったホンが元になっているので、その時点ではまだ、何も生まれていないのは当然である。

 が、しかし、この時既に、“ゴジ監督・皇居への特攻・社会への反逆・菅原文太”というキーワードが何らかの巡り合わせで、ここに出現しているのは、これは偶然とも思えない、何か、運命的なものを感じてしまうのは、僕だけだろうか。まるでそれらのキーワードに導かれるようにして、『太陽を盗んだ男』が作られたような気が、してならないのだが…。

 

 

 

X.再会

 

 以上の事を踏まえつつ、今回、久々に『太陽を盗んだ男』をDVDで観賞してみたところ、実に何とも感慨深いものがあった。DVDの映像特典として収録されていたインタビューによると、ゴジ監督は、“あまり知られていないスター”という観点で、主人公に沢田研二=ジュリーを抜擢したと語っており、実際にゴジは、ジュリーが主演していたテレビ・シリーズ『悪魔のようなあいつ』のシナリオも書いていたので、その繋がりという事もあったかも知れないが、例えば、『青春の殺人者』→水谷豊→『傷だらけの天使』→ショーケン→ザ・テンプターズ→グループサウンズ→ザ・タイガース→ジュリーと、こういう繋がりというか、ヒラメキがあったとも考えられるだろう。

 それと、ゴジ自身は広島県出身で、自分の事を胎児被爆したと言っていたが、その原爆が落ちた広島での、戦後のヤクザ抗争を描いた『仁義なき戦い』に、菅原文太が主演していたのも、これもあながち偶然とも思えない。

 劇場では勿論の事、その後のテレビ放映、そして、放映時に録画したビデオ、また、苦労して入手したビデオ・ソフトなどで、繰り返し観続けたこの『太陽を盗んだ男』だが、今回久々に観て、相変わらず面白かったし、その面白さが、全く色褪せていない事に対しても、ある意味凄く感動してしまった。逆に言うと、あの当時よりも、今の方が、ずっとアピールし易い内容であると同時に、この映画の中に秘められた、ゴジの強烈なメッセージが、今の日本社会に対する嘲笑のような形となって表れているのを、垣間見たような気がした。

 世界で唯一の核爆弾被爆国の日本だからこそ作り得た、来るべき世代にも名を残す事が出来る一大傑作だと、新たに思いを強くしたのであった。

 

付録『太陽を盗んだ男』シナリオ変遷 (DVDのブックレットより)

 

これが、レナード・シュレイダーが書いた第一稿を翻訳したもの。

タイトルは大胆にも、「日本対俺」

映画にするのは長過ぎるぐらいの長編で、プロデューサーの山本又一朗は、「思い切って削ること」を最大の条件にゴジ監督に任せたとの事。

 

そして、タイトルが変更された第二項。

今度は皮肉っぽく「笑う原爆」

しかし、あからさまに「原爆」という文字を使うのは、良くないとの意見(おそらく配給の東宝から出たものだろう)により、変更せざるを得なくなった。

 

そしてまた、タイトルが変更されての第三稿。

今度は、ラブ・ストーリー風に「プルトニウムラブ」

どうやら、「プラトニックラブ」に引っかけた洒落のつもりらしいが…。作品のムードとそぐわないので、また変更に…。

 

そして、出来上がった四稿目が「日本を盗んだ男」

ほぼ、これに決まりかけたが、ゴジの「日本なんて、盗んでどうするの…?」という疑問から、またまた変更になる。

この真ん中の丸い形が、太陽に似ているからと…

 

 

という事で、最終的な決定稿が、これになった。

題して「太陽を盗んだ男」

まぁ、太陽を日の丸、即ち“日本”と考えられなくもないので、最初のコンセプトとは、整合している事になる。

 

 

 

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